ファンにできること

GReeeeN紅白出場決定で最近ちょくちょくGReeeeN用のツイッターを開いていたらこんなツイートが流れてきて驚いた。

 

 

去年初めてGReeeeNのライブに行き、感動のあまり布教活動のひとつにでもなればいいと書いてはみたものの、誰からも読まれることなく、書いた本人さえ忘れて打ち捨てていた記事が今になってなぜか取り上げられていた。

 

たぶんネットの果てに埋もれた記事が見つかるほど紅白出場のニュースが大きかったのだろう。一体どんな検索をかければこの記事に行き当たるのかはわからないが…

 

とはいえ、ファンの方々からこういう反応がもらえたのは正直めちゃくちゃ嬉しい。
もともとGReeeeNの魅力を伝える布教活動になればと書き始めたブログなのでとりあえずこの機会に、ブログを見つけてくれたGReeeeNファンの方々に向けて僕なりに色々考えてみたことを書いていこうと思う。

 

 

2020年、GReeeeNは朝ドラ主題歌決定から始まり、コロナでライブが開催できない中、紅白出場で終わるという、まさにNHKイヤーだった。

 

僕としてはライブの魅力は配信じゃ伝わらないというオンラインライブ反対派なので(あくまで新規ファン向きではないという点で。あと紅白は企画枠での出演なので色々やりようはありそうだと思っている)、このコロナ禍に朝ドラ主題歌を引っ張ってこれたGReeeeNは「やっぱ持ってんな!」というのが率直な感想だ。

 

もちろんオリンピックが開催されていれば星影のエールももっとフィーチャーされていただろうから不幸中の幸いではあるが、コロナでライブが開催できなかったことが紅白出場の一因だとすれば今後メディア露出が増える可能性だって期待できる。

 

星影のエールでもコロナで世の中が停滞する中、色々な新しい試みが行われていたが、それらを通して言えるのはファンが主体となって盛り上げる企画が中心となっていたことだろう。

 

もちろん昨今はいかにSNSをうまく使うかがプロモーション戦略の重要なカギだろうが、普通のアーティストと違ってプロモーションに制限があるGReeeeNならなおのことだ。

 

だから「ファンからのエール」という部分に期待したのだと思う。

 

僕もその企画の中の一つ、星影のエールの考察企画はとても面白いし参加できそうだと思いつつもあいにく途中で挫折してしまったが、この機会に自分なりの解釈をあらためてまとめ直したので、時間があればこちらもぜひ読んでもらえると嬉しい。(めちゃくちゃ長いが)

 

 

note.com

 

前回のブログでも書いたが基本的にGReeeeNのコンテンツは内向きで限定的なので、ファンがこうした「GReeeeNってめっちゃいい曲作ってるな!」「GReeeeNってスゴい!」ということをだれから見てもわかりやすく(僕の考察はそうでもないが)発信することはとても重要だと思っている。

 

だからもっとGReeeeNに関する、たとえば歌ってみた動画や演奏動画、楽曲アレンジや同人誌、グッズ製作などのファン主体のコンテンツが盛んになればいいのになと思う。

 

そうした中で一番ファン以外に波及する影響力が強いのは、色々ゴタゴタはあったがやはりtiktokだろう。

 

GReeeeNと同じ事務所でyoutube活動しているくまちょという着ぐるみキャラクターも、流行りの楽曲を踊るよりtiktokでみんなが踊りたくなるようなGReeeeNの楽曲のダンスを考案してみてはどうだろうか?それなら楽曲の宣伝だけでなくバズったダンスをダンサブルに起用してみんなで盛り上がる、なんてことだってできるだろうし。

 

とは言ってみたものの、企業が主体でバズを狙うというのは「100日後に死ぬワニ」失敗を考えると、やはりファン主導に任せた方がいいかもしれない。(あれはまあ人の純粋な気持ちを踏みにじったことが原因だと思うが)

 

あいにく僕にはそういう才能も技術もないが、GReeeeNの楽曲にダンスをつけてみたり、かっこよくアレンジしてみたり、好きなエピソードをマンガにしてみたり、考察本をまとめてみたり、そういった二次創作が盛り上がってコミケが再開された時にGReeeeNのサークルブースがあったらぜひ行ってみたいので、この記事を読んでいる才能あるみなさんどうかご検討をぜひよろしくお願いいたします。

 

なんにせよ、紅白出場でこれからもっとGReeeeNは注目されて盛り上がるだろうし、一ファンとしてその活躍を応援していければいいなと思うので、GReeeeNファン以外にはまったく広がりそうのないこのブログだが、GReeeeNファンが「自分もGReeeeNを盛り上げるために何かやってみようかな」と思うキッカケが作れたら幸いである。

GReeeeNのライブに行ったら、本物の「アイドル」をそこに見た

GReeeeNのライブチケットが余ってるんだけどさ、一緒に行かない?」

 

きっかけはそんな言葉だった。

 

GReeeeN?へぇ、まだ活動してたんだ?」

 

正直なところ、最初の感想はそれだった。

 

だが、ライブに行ってみて度肝を抜かれた。

そこは、今まで僕が行ってきたライブ空間とはあまりにもかけ離れていた。お祭りのように観客を盛り上げるスタッフ。GReeeeNのメンバーを模した着ぐるみに狂喜乱舞するファン。まるでミュージカルのように進むライブ本編。アーティスト不在にも関わらず、会場の高い一体感。

 

だからあらためて、自分のお金でチケットをとった。そこで感じたものを、GReeeeNについてもっとちゃんと知ったうえで、もう一度確かめたくなったのだ。そんなミーハーな僕だが、少しでもGReeeeNのライブに行ったことがない人たちにその魅力が伝えられるよう、そこで感じたことを書いていきたいと思う。

 

初めてGReeeeNを目にしたのは僕が高校生の時だ。近所のタワレコで「謎の覆面アーティストデビュー!」みたいな煽りで、1stシングルの『道』が紹介されていたのをよく覚えている。聴いた瞬間、「あ、いいな。これ」と思った。そこまで音楽に詳しいわけではないが、多分感覚が最大公約数的一般人なのだろう、売れ線になるモノは何となくわかる。

 

案の定、GReeeeNは売れた。それはもう爆発的に売れた。GReeeeNっていうグループいいよ、と紹介した時には興味なさそうに聞いていた友人も、『愛唄』が出る頃になるとカラオケで大きくキーを外したGReeeeNの歌を毎度のように歌うようになった。

 

GReeeeNの歌は「人生つらいこともあるけどなんとかなる」とか、「大切な人といる時間を大事にしよう」とか、そんなド直球のメッセージばかりだ。少なくとも僕の周囲では、そんなメッセージがバチッとハマるのはいわゆる陽キャといわれるスクールカースト上位の人間が多かった。学園祭でキセキを大合唱している陽キャ集団を見たぐらいから何となく嫌気がさして、段々とGReeeeNを聴く機会も減っていった。

 

大人になって、音楽そのものをちゃんと聴くことも少なくなった。流行りの曲を聴いても、ほとんど心には響かない。仕事柄ライブに行くことはあるが、最前列で夢中で手を振ったりしているファンを眺めて、「ああ、自分はもう夢中に何かを追うことができることはないのかなあ」なんて思うこともしばしばだ。

 

だから「チケット余ってるけど行かない?」と言われた時も、そんなにテンションは上がらなかった。GReeeeNの音楽を、今さら自分が受け入れられると思わなかった。

 

結果から先に言うと、ライブを観て泣いた。

 

あいにくセットリストの曲はほとんど知らなかったが、そんな僕でも泣いたのはたぶん、GReeeeNが、当時聞いていた頃と変わらずGReeeeNのままだったからだろう。

 

大人になると人生はつらいことばかりだ。何をするにも色々な常識やしがらみがついてまわり、諦めや妥協もするようになる。夢や希望に向かって盲信的に突き進めるのは若い人間の専売特許だ、なんてクソみたいなお説教だって振りかざし始める。

 

だがGReeeeNは、相変わらず青臭い理想を、明るく前向きに楽しげに歌っていたのだ。

 

好きだったアーティストが売れるにつれ段々と丸くなり、デビュー当時の瑞々しい感性や、ギラリと世の中に突きつける魂の叫びのようなものが失われていくというのはよくある話だ。そうでなくても普遍的なメッセージを歌い上げるGReeeeNのような音楽は、外野からは陳腐だなんだと馬鹿にされたり、ファンからは「マンネリだ」と飽きられたりもする。実際にはそれが一番難しい表現だというのに、だ。そんな細部にわたって苦心しなければならないことを10年以上もずっと維持し続けるというのは、一体どれだけの努力が必要になるのだろうか。

 

自分が諦めて手放したものを、GReeeeNはずっと大切に持ち続けている。それに気がついた時に流した涙が悔恨なのか感嘆なのかはわからないが、見終えた後、叫びだしたくなるような、走り出したくなるような、様々な感情が土石流のように押し寄せてきた。

 

隣にいた友人も泣いていた。聞けばずっと応援してきたファンからすると、今年のライブはGReeeeNからファンへのアンサーソングとも言えるセットリストだったのだという。

 

そこで、もう一つ気付いた。

あぁ、GReeeeNは本物の「アイドル」なのだと。

 

ここでいうアイドルとは、可愛いとかカッコいいとかでワーキャーする対象のアイドルではなく、従来の意味、信仰の対象としてのアイドルのことだ。

 

ライブが始まる前は、どうしてたかが着ぐるみにあんなにファンが駆け寄っていくのか理解できなかったが、今ならわかる。

 

ファンの目には、GReeeeNという像に、自分の見たいものが映し出されているのだ。

 

だから着ぐるみだろうと本物のように感じられるし、アーティスト不在だろうとライブを全力で楽しむことができる。

 

GReeeeNという、世界的にも特異な覆面アーティストという属性を考えてみればそれも納得できる。GReeeeNは顔出ししないだけでなく、メディアにもほとんど出てこない。最近浜崎あゆみの自叙伝で話題になった小松成美さんが書いた自伝的な小説が出てはいるが、それも基本的にはフィクションというスタンスだ。

 

それが歯科医と兼業しているからなのか、マーケティング的な戦略なのかはわからないが、ファンは常にGReeeeNに対する情報に飢えている。だから「メンバーってこんな人なのかな?」「普段どんなことをしてるんだろう?」などと日頃からあれこれ想像を膨らませて、自分なりのGReeeeN像を作り上げていく。

 

そこに正解はないし、答え合わせがされない以上、間違いもない。常にスキャンダルに脅かされる生身のアイドルから一歩進んだものがバーチャルアイドルだとすれば、GReeeeNはそこからさらに進んだ、概念とも言える存在だろう。

 

そこで育まれた想像力は、例えば曲の解釈でも、あるときは落ち込んだ気持ちを励ましてくれる応援ソングとして受け止めたり、あるときは高まった気持ちをさらに高揚させてくれるアゲアゲの曲としてとらえたり、様々な形へと変化させる。

 

そうして考察がさらなる考察を生み、コアなファンをよりコアへと導いていく道筋ができているのだ。

 

まぁそういう想像の過程をすっ飛ばして、「GReeeeNって、エヴァンゲリオンみたいなものなの?」と言ったら、「はぁ?何言ってんだぶっ飛ばすぞ」と友人から半ギレされてしまったが。

 

話を戻すと、新規ファンの流入も起きやすい。

古参ファンからすれば、GReeeeNのメンバーもそこそこの年齢というのは周知の事実だろうが、曲が一番突き刺さるであろう10代くらいの子達にとって、そういった情報はノイズにしかならない。だが自由に想像することが許されるのであれば、そんなことは関係ない。アーティストは自由に若返ることができるし、自分が描く理想のイケメンとして想像することだってできる。アーティストのリアルなイメージに左右されることなく、自分が好きなようにファンタジーの世界を楽しむことができるのだ。

 

自在に変化できるはずだったバーチャルアイドルが、結局「中の人」のイメージに左右されて早くも廃れつつあることを考えると、次代を担うバーチャルコンテンツの最適解は、もしかしたらGReeeeNの中にあるのかもしれない。

 

段々何の話をしているかわからなくなってきた。そうだ、ライブの話に戻そう。

 

ライブ会場を見渡してみると、開演前からいくつものファンの気持ちを高まらせていく仕掛けがあることに気がつく。

お祭りのような祭囃子が聞こえていたり、盛り上げ隊長みたいなスタッフがいたり、みんなでダンスを踊る企画があったりと、ほかの音楽ライブやフェスとは違い、まるでテーマパークにでもきたような様相だ。

 

普通に考えればライブに来るくらいのファンなのだからほっといてもライブが始まれば勝手に盛り上がるだろうに、なぜそこまでして開演前にファンの気持ちを高める必要があるのか。

それはGReeeeNのライブが、アーティスト、ファン、スタッフが一丸となって作り上げるものだからではないだろうか。

 

GReeeeNのライブは、映像自体は事前に収録されたものではあるが、作りとしてはクラブに近い。PAは会場の空気に合わせてエアーホーンをファンファン鳴らすし、MCもご当地トークを盛り込んだり、ライブ中のファン参加イベントみたいなもので次に歌う曲が決まったりするなど、何度も会場に足を運ぶファンでも楽しめるような作りになっていると感じた。

そうした一体感をもたらすためにも、ライブ前の雰囲気づくりに力を入れているのだろう。

 

だから会場ではファン同士やスタッフとの交流が盛んにおこなわれている。一緒に行った友人も開演前にいろんなファンの子達と交流をしていたが、中にはまだ中学生くらいの子もいたりしたのでそれは大丈夫なのかとも思ったりもしたが、GReeeeNファンからすればこれもわりと当たり前のことだそうだ。

そうやってライブに行けば行くほど思いは深く強くなり、よりアーティストのことを好きになっていけるのだろう。

 

ただ、そうしたファンの代謝率の高さや交流の深さを知れば知るほど、「もったいない」とも感じた。

 

ライブというのは、ファンがアーティストを実体験として感じられる唯一無二の機会だ。

そこで刻まれた強烈な記憶、思い出、感動がファンの支えとなり、「よし、このアーティストをずっと応援していこう」という原動力となる。

 

だが結局GReeeeNのライブの魅力は、ライブに来なければ気づけない。チケットもそこそこ高いので、アーティストが来ないと聞けば、「ライブ行ったことないけど行ってみようかな」とライトファンがなるとも考えにくい。僕も行く前まではライブビューイングと何が違うのかなどと思っていた。また、友人にさいたまスーパーアリーナの時のライブ映像も見せてもらったが、確かにそれはそれで良かったが、これでもライブの良さを、GReeeeNを全く知らない人に伝えるのは難しいだろう。

 

となると、Zeppクラスの小規模の箱ではなく、公演数を絞ってアリーナクラスのライブをやった方が、メディア的にも話題になって「なんかGReeeeNのライブはすごいらしいぞ」と行ってみようと思うきっかけにもなるし、ファンとしてもライブに何度も足を運ぶより疲弊もしないのではないだろうか。まあアリーナ規模となると資金的な都合もあるだろうが、グッズの売り上げなども公演数が少ない方が客単価も上がるだろう。

 

最大の問題としては、僕が最初に「GReeeeNってまだ活動してたんだ」となっていたように、コンテンツがほとんど外に向いていない点だ。

 

まあ、長く続いているアーティストなんてファンじゃない人間の感覚としては大抵そんなものだ。ただ、GLAYB’zなんかのライブに来る人たちも昔からの熱心なファンが多いが、アリーナ規模で公演しているとメディアにもちょくちょく話題があがって、「やっぱりこの人たちはすごいなあ」なんて思う機会がある。

 

そこに比べてGReeeeNは、調べてみるとCMなど新譜がいたるところで流れているし、企業タイアップも多い。MISIAが歌っている『アイノカタチ』なんて、『義母と娘のブルース』は毎週欠かさず観ていたのに、GReeeeNが楽曲提供しているなんて恥ずかしながら全く知らなかった(レコ大や紅白ですら一人で歌ってたし)。テレビでだって感動の場面では大抵『キセキ』が流れる。そこでの新規流入があるからこそライブは若いファンで満たされているのだろうが、とはいえ、そんな平成を代表するアーティストなのに、誤解を恐れずに言えば、地方で細々と公演しているのは少し寂しい気もする。

 

もちろんアリーナクラスで公演するとしたらさいたまスーパーアリーナでやったようなサプライズ出演くらいのものが必要になるだろうし、GReeeeNは音楽活動が専業ではないのでスケジュール的にそれは難しいのかもしれない。

 

でももし可能であるならば、東京・名古屋・大阪・福岡の4公演くらいでどうにか日程を調整して出演してアリーナ公演をしてもらえると、世間にもっとGReeeeNのすごさを周知できていいと思うのだが、どうだろうか?